他者の代替可能性について
自分が取るに足らない存在であると感じる。
それどころか、自分などいない方が世界は平和になるという強迫観念があり、生きていることに罪悪感を覚える。
うつ病の症状の一つで、よくある「うつ病チェックシート」などでも項目に入っているのでご存知の方も多いと思う。
でも、私は「全くその通りだ」と思う時と、逆に「全ての人間は敵で、私を傷つける存在だ。こうなったのも周りの人間のせいだ。皆死んでしまえ」と思う時が交互に来る感じだ。雛見沢症候群か。
『モダン・タイムス』を引くまでもなく、20世紀は自己の代替可能性がこれ以上ないほどに拡散していった時代だと思う。
健康な人でも、仕事などで自分の代わりなどいくらでもいると悲観的になる時もあるのではないか。
それに加えて、今世紀はSNSの普及によって他者との繋がりが容易になり、一見個人と個人が深く結びついているように見えても、それはいつでも取り替えが可能な関係なのではないか。
勿論、一概に全てがそうだとは思わないが、私自身は今一緒にいる人間は「私にとって都合の良い、楽しい人間」であればそれでいいのでは?と自問することが増えた。
所詮突き詰めて考えれば全ての愛情は自己愛であるのだけれど、そうではなく、もっと表層の時点で既に、他者が取り替え可能になってしまったと思う。
今楽しく会話をしているあなたは、私と同じものを見て楽しんでいるように(私が)思えれば誰でもいいんですよ、それはあなたも同じでしょう?と考えてしまう虚しさ。
自己が取るに足らない存在であるよりも、かけがえのない「あなた」が実は取り替え可能であったと気付くことの方が深刻だと思うのだが、これはうつの症状なのか、SNS依存が引き起こした問題なのかが分からない。
この疑問は栗原彬氏の『21世紀の「やさしさのゆくえ」』を読んでいた時にふと浮かんだものなので、興味のある方は所収されている「若者の現在―政治―」を読んで頂きたい。
ハッキリ言って他の方々の論文はそれぞれの著者の本を読んだ方が面白いと思いますが…。
- 作者: 小谷敏,土井隆義,芳賀学,浅野智彦
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
- 発売日: 2011/05/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 7回
- この商品を含むブログ (5件) を見る